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東京ドームエピソード

東京ドームでコンサートをする場合、音がかなり篭るために
スピーカーの設置などには気を使わなくてはならない


東京ドームで初めてコンサートを行ったのはTHE ALFEEである


東京ドームオープニングイベントで各国代表のマーチングバンドと
共に柿落としコンサートを行った


この時は外野に卵形の巨大なセットを設置
通常観客を入れる内野もステージとして捉えた演出を行ったので
観客はスタンド席のみだった


完成直前の東京ドームをテレビの収録で訪れた長嶋茂雄が
「この天井にボールをぶつける事は無理でしょう」と話したが、

開場した1988年の7月4日に阪急ブレーブスのダラス・ウィリアムズが
当てたのを皮切りに、読売ジャイアンツの原辰徳、松井秀喜
西武のアレックス・カブレラらが、天井やセンター後方に
吊り上げられているスピーカーに当てている


中でも、1990年6月6日の日本ハムファイターズ対近鉄バファローズ戦で
近鉄のラルフ・ブライアント(当時)が
日本ハムの角盈男(当時)から打った打球をセンタースピーカーに
直撃させて記念すべき認定ホームラン第1号を記録した


これをきっかけに東京ドームではスピーカーに当てた認定ホームランを
記録した選手に対してスピーカーの提供メーカーより
賞金300万円を贈呈することにしている


しかしその後にこの認定ホームランを打った選手は現れていない


東京ドームでコンサートをする際、
グランド全面及び全てのスタンド(1階・バルコニー・2階全席)を
開放して使用するのはSMAPとB'z使用時のみである


この2つのコンサートのみ、2階席まで客が埋まる
(他のコンサートではスタンド2階席の全席開放は無し)


東京ドームの球場使用料は他の球場やドームに比べてとても高い
また巨人より日本ハムの方が使用料の額が大きく設定され
実質は日本ハムが東京ドームを借りて試合をしている形になっていた


この高い使用料が日本ハムの札幌移転並びに弱体化の理由の1つとなっていた
巨人主催ゲームについては年間予約席と一般指定席の2種類が用意されている


これはより多くのファンに観戦してもらう為である
対戦カードによって一般席は抽選発売となる場合がある


阪神戦を除きレフト右側の一部を巨人の応援席にしており
ビジターファンと巨人ファンの外野の座席比率は4:6になっている


2005年7月30日の中日ドラゴンズ戦で350号まで後1本と迫っていた
江藤智の放った特大飛球が屋根に当たりグラウンドに落下

中日の英智左翼手に捕球され350号ホームランは幻となった

東京ドームの看板直撃のアーチは甲子園では客席に届かないと言われていたが
検証の結果間違いだということが判明している


ドームの屋根の間には少々の隙間があり、隙間に入れると
エンタイトルツーベースとなる


2002年に松井秀喜が「幻のドーム場外」を記録した
(このボールは野球体育博物館に保存されている)


ドームの広さは約216m四方で、建物、場所などの広さ
大きさを表現する際に日本ではよく東京ドーム何個分という表現が使われる


北海道日本ハムファイターズが北海道に移転する
以前の2003年まで本拠地であり現在は準本拠地として引き続き
年間数試合使用している


北海道移転前に使用していたマスコットキャラクター
ファイティーは、当初移転とともに役目を終える予定だった


が、女性を中心としたファン達の嘆願により
東京ドーム限定のマスコットキャラクターとして2005年まで存続した


また立正大学が試験会場としてグラウンドを使用して
話題になったことがあるが、校舎建て替えに伴うものであり
使用には非常に多くの不便が生じたといわれる


コナミが遊☆戯☆王のイベントでドームを使用したが
開催側の不備から大混乱に陥った


この球場の公式戦ではじめてホームランを打ったのは
元ヤクルトスワローズのダグラス・デシンセイである

前述のこけら落としのオープン戦では吉村禎章〔現・巨人2軍監督〕が打っている。

         

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